外部のファシリテータが会議に加わる効果

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 風土改革の仕事の中で、ファシリテーションは切っても切れないものではありますが、私はできるだけ早く自走することを意識しています。ですので、ある程度のタイミングになったら、「そろそろ私が会議に参加しなくても十分に良い議論ができているのではないでしょうか?」とお話しすることがあります。

 そのとき、ある会社で、「冨山さんに入っていただかないとまったく違う場になっていますよ。なんというか、加わっていただくと参加者のエゴが消えるんですよ、私も含めて。当面は入ってもらえますか?」というふうに言われました。要するに、私がいると、参加者一人一人がムッとしたり、カチンと来たとき、反射的に発言することが減り、お互いに我慢して聞く意識をもつようになるそうです。

 もちろん、外部の人間がいることで、色々な心理が働くのが理由だとは思います。恥は晒せないとか、どうやって上役に伝わるかわからないとか。ただ、その心理のおかげで、参加者の皆さんが一旦立ち止まって考えるようになることも事実です。

 本来は、お互いにガツガツ言い合っても、言い合う過程でお互いの意見の違いや価値を認め合いながら合意が形成されることが望ましいです。しかしながら、現実にはなかなかそのような会議体はありません。やはり、「謝ったほうが負け」というチキンレースになることが多いのです。

 一旦言いたいことをこらえて、人の話を聞く価値を実感する

というのも、外部のファシリテータが加わる効果の一つだと思います。

はっきりいって、歳を重ねれば重ねるほど、人の話を聞かなくなります

 偉くなったから聞かなくなるという人ももちろんいますが(笑)、私が申し上げたいのは、多かれ少なかれ、年を重ねることによって、ある程度まで話を聞くと、経験的に相手の話を判断したり、人を容易にカテゴライズする傾向が強くなるということです。そうすることで人間は効率的に物事が判断できるようになり、良い面も多分にあるのですが、未知の課題に向き合う過程の「議論」においては、先入観の塊になるので、良いことはあまりありません。

 クライアントが期待するファシリテータの効果というと、どうしても意見を引き出すことと意見をまとめることに求めがちです。もちろん、これらの効果は極めて重要ですし基本のキですが、傾聴の姿勢と効果を実感していただくことも十分な効果であることをご理解いただけると良いかと思います。

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