常識を疑う力は社内では身につきにくい

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そもそも常識とは何か?とかんがえると、私は「自分が精神的に安定するための心の拠り所」と考えています。自分の常識を違和感なく受け入れてくれる人とは付き合いやすいですし、まさに価値観が合うので、付き合いやすいものです。一方、常識が異なる人、たとえば、プライバシーに対する考え方が違ったり、清潔感に対する考え方が違ったりする人と付き合うことはそれなりに不安定な状態に陥ります。我慢して付き合っていく中でお互いの考え方を理解して、共有し、納得できれば安定状態になります。

組織は、一般的にこのような不安定と安定を繰り返しながら、「常識」が作り上げられていきます。大きな組織ほどこの「常識」が盤石なものであり、あまりに盤石になると、そこに対して異論を言うことが、タブーとなってしまうことすらあります。経営状態もよく、組織としても長く続いていると、人の採用や育成にも「常識にあてはまる人を採る・育てる」ことが重要になってきます。このような組織は、環境が変化しない限りは相当に強いのですが、商品に問題が発生したり、事業環境が大きく変化したりしたときの対応力は著しく劣ります。

これは、多くの大企業にとって既知であり、「常識をうたがうことができる社員を育成すること」に類したことを目的とした研修やトレーニングをしています。しかし、私の知る限り、その大半の実態は、真に育成したいわけではなく、「常識をうたがうことができる社員を育成することが社会の常識」と考えているため、そのような研修・トレーニングをしていて、実業務上は大きく異なることが多いのです。

このような実態は、ある意味やむをえないことと思います。多くの人も組織も危機に面しないと本気にならないものです。しかしながら個人としてみたとき、このような常識を疑う力をもつことは、先を読む力にも繋がり、社会を渡り歩いていく上で、常に自分の力を1.5倍にしてくれるものだと思います。

よって、各個人が、自分が所属している組織の枠から外れて、様々な人とコミュニケーションをとったり、研修や勉強会に参加することが重要です。その中で多様な常識・価値観を受け入れることで、このような力が養われてくるものだと考えています。

逆に、会社として真に「常識をうたがうことができる社員を育成すること」を考えるのであれば、複数の会社の合同プログラムにしたり、外部の一般的な研修に出るための費用補助をするといった形が望ましいと考えます。このような形は、安定した企業の人事担当者からすると退職・転職リスクに繋がるため、避けたがる傾向にありますが、逆にそのリスクをとらずして、「常識を疑う力」を社員に期待することはできないと考えます。

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