冨山陽平のブログ “思いきり やりぬく”

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冨山陽平のブログ 思いきりやりぬく
  • 22
    Jul
    2011
    2011/07/22 (金)
  • 対価を意識する思考で人間関係が膨らむ

 これは、自分の頭を整理する意味でも書く少し理屈っぽい投稿です(笑)対価とは大きく分けて二種類あると思っています。

「自分が提供した価値に対して、相手が払う対価」「相手が提供してくれた価値に対して、自分が支払う対価」

ここでいう対価とは、相手が価値を感じるものをいいます。つまり、金銭だけではありません。たとえば、自分は野菜農家をやっているが米がない、ある隣人は米を作っているが、野菜はない。この状況をお互いに知っているとするならば、自然とお互いに自分は野菜を提供し、相手は米を提供してくれます。それでお互いが幸せになることがわかっているから相手が価値を感じるものを提供するわけです。

 私は、自分の行動に対して、常に対価を意識しています(意識だけで身に付いているとはとてもいえませんが。。。)。

  • 自分の仕事に対して、相手がどれだけの価値を感じて、どれだけの金銭を対価として払ってくれるか?
  • 自分が割り引いたり、無償で提供したサービスに対して、果たして相手は価値を感じ、金銭以外の何かで対価を払ってくれるか?
  • 相手が自分に対して提供してくれた仕事に対して、私は相応の金銭を支払うことができているか?
  • 相手が明らかに価値よりも割り引いて仕事をしてくれたとき、私は金銭的な対価に加えて、何らかの貢献をできているか?

いまは、かなりこのあたりを意識していますが、従業員だったころの私を振り返ると、相当に利己主義だったなと思っています。つまりは、自分の仕事をきちんと評価できていないわけですし、相手の価値もきちんと評価できていなかったということになります。今思えば、恥ずかしいことです。

 自分のことを棚にあげて話を続けるのであれば、安定してそれなりの給与をもらっている従業員は対価を忘れがちな人が多いように感じます。また、自律心がなく、いつも人のせいにすることで何とかなってきた人も対価は考えない傾向にあります。この2者に共通することは、俺は(私は)苦労しているが口癖です。私の周囲をみても、本当に苦労した人は、自分の苦労を話したがりません。思い出したくないから。

 対価を常に考えて行動している人の周りには、そういう人達同士でつながるようになるので、気持の良い人間関係の中で生活することができます。一方、対価を考えない人の周りには、付き合いたくないけど付き合わざるをえない人同士でしか集まりません。人間関係に悩んでいる方は、対価というものを自分が意識しているかを考えてみてはどうでしょうか?

  • 2011/07/22 (金)

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